その五十二 関東大震災被災者への生活必需品配給で復興に一役!
#松坂屋ヒストリア小話 その五十二
1923年の関東大震災で松坂屋は東京市の被災者向け生活必需品配給を独占受託し復興に一役かった。
1923年(大正12)9月1日の関東大震災発生直後、松坂屋は上野店が全館焼失という非常事態にも拘らず、まずは被災した東京市民の救援活動を優先した。名古屋店、大阪店では衣類・生活必需品の入った10万個もの慰問袋を調製し、鉄道が不通であったため名古屋港から船で輸送し現地の罹災者に配布を行った。当時の松坂屋社長の伊藤次郎左衛門祐民も名古屋から上京し、昼夜を問わず陣頭指揮に当たった。そんな中、東京市では被災者に対する必需物資の廉売を実施するため市内各地に臨時の市場を開設することになった。市は当初その一切の業務を三越と白木屋にゆだねるはずであったが諸事情で交渉がまとまらなかったため、松坂屋が東京市庁と交渉し「東京市罹災者物資配給の独占委託」をうけることができた。早速松坂屋は「東京市設衣類雑貨臨時市場」という廉売市場を10月1日小石川、牛込、四谷、赤坂の4ヶ所を皮切りに、その後浅草、芝、麻布、神田、日本橋など含めた計13ヶ所に順次開設して日用品・必需品の安売りを行った。また10月1日の同日には池の端の舎宅にも仮営業所をオープンして食料や衣料品などの売り出しを行った。どの販売所でも物資不足のおりから被災者が殺到して大混雑となり、商品は並べる先から売れていくほど盛況だった。そして、これらの松坂屋の救援活動には、被災市民から多くの賞賛と感謝が寄せられた。
類焼し、門扉だけが残った上野店
池の端仮営業所
牛込仮営業所
赤坂仮営業所
芝・増上寺仮営業所