その六十 地下鉄矢場町駅の謎の壁画は誰の作品?
#松坂屋ヒストリア小話 その六十
地下鉄「矢場町」駅のモザイク画は、今はなきJR名古屋駅壁画や中日ビル天井画も制作した矢橋六郎の作品。
1967年(昭和42)3月30日名古屋市営地下鉄南北線(現在の名城線)栄~金山間が開通し、このとき「矢場町」駅も開業して改札口と松坂屋名古屋店とが地下連絡通路で結ばれた。地下鉄南北線は1965年(昭和40)市役所~栄間で開業したが、実は金山延伸が決まった当時はまだ名古屋市に矢場町駅をつくる構想はなかった。隣の栄駅からの距離が700mと短いため、市の計画から外されていた。松坂屋は、地下鉄駅は将来の地域の発展のためには絶対必要との観点から、地元の商店街や住民に声をかけ建設期成同盟会をつくり、名古屋市や議会への陳情を繰り返した。その結果、市は「百貨店は公共施設に準じる」との見解を示し、議会の了承も得て矢場町駅の設置が決まったのである。駅の設置が決まると松坂屋は改札口から店舗への全長114mの連絡通路を造り、市に寄贈した。連絡通路の壁には画家・矢橋六郎(1905~1988、岐阜県大垣市出身)により「生活」というタイトルで計23面の緻密なモザイク画がちりばめられた。矢橋六郎は、かつてJR名古屋駅の待ち合わせ場所として有名だった新幹線口の巨大壁画「日月と東海の四季(1964年)」や中日ビル1階の天井画「夜空の饗宴(1966年)」の作者としても有名だが、いずれも現在は見ることができず、矢場町駅のモザイク壁画は同氏の貴重な作品のひとつとして多くのモザイク愛好家の方たちから関心を集めている。
地下鉄矢場町駅にある矢橋六郎の作品
矢橋六郎