その四十五 松坂屋の屋上にプール!?
#松坂屋ヒストリア小話 その四十五
1934年(昭和9)オープンした松坂屋大阪店北館の屋上は全面ジャンボプールだった。
1923年(大正12)松坂屋大阪店は当時のメインストリートといわれた堺筋の日本橋三丁目に出店した。その後堺筋がビジネス街としての色彩が強まり集客力が低下するなど商環境が悪化したため、不利な立地条件を克服するため規模の拡大をはかるべく、1927年(昭和2)から1938年(昭和13)にかけて実に4期にわたる増築工事を行ない、第3期工事終了時には総面積3万8,400㎡となって、当時の名古屋店(総面積3万3,000㎡)をも凌ぐ、松坂屋の中では最大規模の建物となった。特に第2期工事は大阪店旧館の北側に鉄筋コンクリート構造の地上7階、地下2階、総面積約2万㎡の北館が建設され、1934年(昭和9)の落成時には北館、旧館、南館の3つの建物が並んだ。
1927年(昭和2)の大阪店
第2期工事落成時の3館体制(1934年)
1階のアーケードや回転式ショーウインドーなど新施設が評判を呼んだが、中でも新築の北館7階屋上に設置された入場無料のジャンボプールは多くの家族連れで賑わい、冬場はスケートリンクとして利用されるなど、まだレジャー施設の少ない時代に大きな話題となった。第3期工事は北館と南館に挟まれた中央の旧館を取り壊してその跡に鉄筋コンクリート構造の地上7階、地下2階を新築し北館・南館と接続し一体化するものであった。1937年(昭和12)の完成時には、百貨店初の「2人並列型エスカレーター」、67mに及ぶアーケード、わが国の文化教室の先駆けとなった「松坂倶楽部」や大阪における食品名店街のはしりとなる「東西うまいもの街」などが新設されるなど、同業百貨店にはなかった独創的な数々の施設はいずれも特筆に値するものであった。その後戦時色が強まり第4期工事は1938年をもって中止となった。紆余曲折はあったものの、松坂屋大阪店は立地の不利を4期にわたる規模の拡大と斬新な施設の導入によって克服し、太平洋戦争に突入するまで毎年2,000万円超の売上を記録したのである。
昭和12年3月15日 エスカレーター
昭和12年3月15日 アーケード
大阪店文化センター
1954年(昭和29)の大阪店