その十九 浅草寺雷門の大提灯に松坂屋の名が!?
#松坂屋ヒストリア小話 その十九
昭和8年(1933年)に松坂屋は浅草雷門を建立・寄進しており、当時の雷門の大提灯は松坂屋の名入りだった。
「雷門」の文字が入った大提灯で有名な浅草雷門は、慶応元年(1865年)に焼失し、昭和35年(1960年)に松下電器(現パナソニック)の松下幸之助社長の寄進により再建されたと一般的にいわれていますが、実は昭和8年(1933年)に浅草寺が本堂修復記念開帳を行った折に、松坂屋は旧雷門跡地に往時そのままの雷門を建立し寄進していました。そのため当時の雷門の大提灯には寄進者である松坂屋の社名が入っているのです。この松坂屋が再建した雷門は、昭和20年3月10日の空襲で浅草寺本堂とともに炎上したものと思われますが、終戦後、昭和35年に松下幸之助氏により鉄骨鉄筋コンクリート造の雷門が再建されて以降、その大提灯には「雷門」の文字が入るようになったということです。なお浅草寺と松坂屋の関係がわかるもうひとつの歴史的事実があります。それは昭和4年(1929年)に松坂屋名古屋店6階会場で開催された「浅草観音御開帳」催事で、この催事の最大の目玉は門外不出であった浅草寺のご本尊「一寸八分(約5.5cm)の黄金仏」の展示でした。新聞広告のコピーにも「且つて類例なき空前絶後の御開帳、今回は特に本堂御修復中に付き御結縁の為め御勧請奉安」の文字が躍っています。江戸時代を通じて一度も出開帳(※)をしたことがなかった浅草寺が、はじめて名古屋の松坂屋で出開帳したという事実は、浅草寺と松坂屋の深いつながりを物語っているものといえましょう。
※【ご参考】「出開帳」とは、その神仏を所持する寺社で開帳する「居開帳」に対し、地代を払って他の寺社の境内を借りて開帳すること。
寄進された雷門(昭和8年)
名古屋店で開催された催事の新聞広告