その三十一 白洋舎は松坂屋専属工場として名古屋に進出した!
#松坂屋ヒストリア小話 その三十一
明治43年(1910年)クリーニングの白洋舎は松坂屋専属工場として名古屋に進出した。
わが国のクリーニング業界最大手の「白洋舎」が名古屋に支店を開設したのは、1910年(明治43)3月20日のことで、松坂屋の前身であるいとう呉服店からの要請を受けてのものでした。「白洋舎五十年史」によれば、当時の、いとう呉服店社長の伊藤次郎左衛門祐民が1909年米国流通事情視察旅行の際に宿泊したホテルで、洗濯物がわずか数時間で出来上がったのに驚き、名古屋にもぜひそうした設備をもちたいとの思いから強い要請があったとのこと。当時の名古屋の洗濯業は非常に立ち遅れていたので、東京、大阪から名古屋に来た上流の人は、洗濯物をそのまま持ち帰る有様で、こんなことでは名古屋市の体面にも関わることだから、ぜひ名古屋に工場を設けるように、そのためにはどんな便宜でもはかるからという祐民の熱心な勧めがあったため出店を決断したとのことです。そんな経緯から白洋舎は名古屋進出にあたり、本町通の、いとう呉服店に近い西区伏見町五丁目(現在の中区丸の内)のもと伊藤家の味噌倉であった土蔵造りの建物の内部に造作をし、乾燥場を作るなどして、にわかづくりの洗濯工場を設けました。開設当時の白洋舎名古屋支店の広告に「いとう呉服店専属洗濯工場」と謳われているのはこのような事情によるものです。以来白洋舎は着実に中部地区での地歩を固め、愛知県内では現在58店舗を展開、松坂屋名古屋店北館B1Fでも松坂屋支店が今日も営業中です。
いとう呉服店社長 伊藤祐民
開設当初の伏見工場
白洋舎今池営業所(昭和初期)
白洋舎小林町営業所(昭和初期)
白洋舎長島町営業所(昭和初期)
白洋舎名古屋支店の広告(『モーラ』明治44年1月)