その三十六 松坂屋創業家 第10代当主は女性だった!
#松坂屋ヒストリア小話 その三十六
松坂屋の創業家である伊藤家の第10代当主は宇多(うた)という名の女性経営者だった。
伊藤家当主は1615年家督を継いだ2代目の祐基(すけもと)以来、代々「次郎左衛門」を襲名し、本年7月に逝去した伊藤次郎左衛門祐洋氏は第17代となります。ところがこの伊藤家歴代当主のなかに一人だけ「おんな主人」が存在したのです。第10代の当主伊藤宇多(うた)がその人で、宇多は1747年(延享4)、15才で伊藤家7代目に嫁いだ後、23才になるまでに7代目、8代目、9代目といずれも早死にであった3人の夫・当主に仕えました。6代目も夭逝しており、わずか10年の間に4人の店主が替わるという伊藤家にとっては一大危機でしたが、宇多もまた、わずか8年の間に3人の当主と夫婦となり、いずれも死別するという、数奇な運命に見舞われたのです。しかし生来気丈夫な性格の持主であった宇多は、このたび重なる不幸にうちひしがれることなく、1755年(宝暦5)当時では非常に珍しい女性経営者として自らが第10代の当主になり、11代目と再婚(3度目の再婚)する1763年(宝暦13)までの9年間、内外の一切を統率し家業を支えたのです。なお宇多は再婚した11代目の祐恵(すけよし)に家督を譲ったあとも妻として夫を支え、そのかいもあって祐恵は家督をついで5年目の1768年(明和5)に上野松坂屋を買収し、江戸進出を果たすことになるのです。
伊藤家略系図
上野広小路正月の賑ひ(歌川国芳)